<赤坂日枝神社前の寒桜。ビルが立ち並ぶ都心の真ん中で、たくましく、美しく。>
ひとつ前の記事に引き続き、「パブリックヘルス 市民が変える医療社会」を読んでの感想をシェアさせて頂きます。今回は、共同体の一員としての意識を育むものについてです。
著者は、社会問題を自分のことだと感じる“共同体の一員としての意識”について、ご自身の体験から、興味深いことを仰っています。それは、米国では、成人する以前に様々な人がかかわる宗教的な行事があり、それらに子どもが参加することを通じて、共同体の中での居場所を得て、その中の一員であるという意識が育まれるのではないかということです。
以前も書きましたが、私もある方から、米国の「パブリックな意識」について伺い、日本人はその意識が低いと思うと言われたことがあります。その時やはり、米国民に根付く宗教は、パブリックな意識や共同体の一員としての意識を育むのに、何かしらの形で役立っているように漠然と感じました。科学的なデータに基づいたものではないですが、米国で生活されている日本人の著者が肌でそう感じていることに、今回、やはりその可能性があるのか…と妙に納得しています。
また、日本人において、共同体の一員であるという意識が低い可能性(あくまで可能性)は、個人レベルにとどまりません。印象的だったのが、日本が、東日本大震災での援助の受け入れ拒んだことについて書かれた個所でした。
社会学の「贈与論」では、 “贈り物は単なるモノではなく、「与える」「受け取る」「お返しをする」というプロセスが、社会的なつながりや社会関係を育む”と考えるそうです。贈り物(今回の場合は支援)を与えたり、受け取ったりする関係は、グローバルレベルでの、共同体同士の社会関係を育むものなのかもしれません。
そして、著者の身近にいるユダヤ人の方が、戦中の杉原千畝の好意に触れ、東日本大震災で傷ついた日本を今度は自分たちが助ける番だ…と言ってくれたとのこと。このエピソードに、私は思わず涙してしまいました。
勿論、東日本大震災時の海外からの支援受け入れ拒否については、緊急時の対応が一筋縄にはいかないこともあったでしょうし、その後、多くの海外メディアから批判を得て、国内でも、支援の受け入れ拒否を反省するような意見が聞かれました。また、著者も触れていますが、援助を受け入れることにおいての言葉の問題もあります。現に、(関西弁と東北弁というレベルでしか)言葉の壁がない国内では、阪神大震災の被災者が、東北の人を支援するといった支援のやり取りが多く見られています。
ただ、私の少ない経験の中でさえ思うのですが、確かに米国の方は(こういう括り方も乱暴なのでしょうが、少なくとも私が知っている範囲で…の話です。)、他者に「与える」「受け取る」「お返しをする」ことが上手だなあと思います。そのことは、まさに単なるモノだけではなく、言葉にしてもそうです。人を褒めること、褒められたら素直に有難うと受け取ること、また、周りの人にいいことがあったら、今度は惜しみなくそれを称賛すること。
もともと個人主義であるがために、個人を評価する仕組みが根付いており、人を表彰することも日常的に行われていることも関係していると思います。ただそれにしても、(物質的な物のやり取りが上手かどうかは、私は判断がつかないですが)米国人は、“言葉や支援の贈り物”をやりとりすることに、とても素直であるように感じます。
対して日本では、シャイな国民性や“謙遜”という美徳意識が手伝って、あまり贈り物(特に言葉の)のやり取りが、得意ではないのかもしれません。よく海外の方に不思議に思われる「つまらないものですが…」という表現にも、日本人らしさが表れていると思います。また、贈り物をしたり、助けたり助けられたりする関係性はあったとしても、「言わずもがな」な文化があるので、記録に残りにくい、他者に伝わりにくいという背景もありそうです。
私は日本人のつつましやかな気質や心遣いは、やはり心の底から落ち着きますし、馴染んでいる感覚があります。大切な日本人らしさだと思っています。
ただ、著者が言うように、宗教的な背景や、この「与える」「受け取る」「お返しする」という営みが、社会関係を育み、それが共同体の一員であるという意識に影響するのだとしたら・・・。しかもその意識が、健康を支える制度などの“社会的要因”を経て、人々の健康状態に影響するのだとしたら・・・。そう考えると、日本では「宗教が日常に根付いていないから」とか、「贈り物のやり取りが苦手だから」ということを言い訳に、今の状態に甘んじていていいのでしょうか、という疑問を持ってしまうのも事実です。
当然ながら、形式的に、何かを信仰したり、モノや親切、支援のやり取りをすればいいというものではないでしょう。だからこそ、どんな条件下でどのような支援のやりとりがなされれば、かかわる人々の間に信頼や互恵性を伴う社会関係が育まれるのか…それを知りたいのです。
さあ、またしても、考え続ける課題を頂いた気分です。
To be continued...
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